2012.07.22
 久しぶりにライオンに行ってみました。天皇陛下も訪れたことがあるという名曲喫茶です。創業は1926年。火災のため昭和25年に一度建てなおしておりますが、その後は建て直すこともなく、現在に至っております。名曲喫茶とはその名のごとくクラシックを流す喫茶店なのですが、それじゃたただのクラシック喫茶店になってしまいます。このお店には一つの約束事があります。それは「私語厳禁」です。喫茶店とかカフェとよばれるものの目的は、友人とほっと一息ついておしゃべりを楽しむことなんじゃないかと思いますが、この店は真っ向からそれを否定しています。このストイックさがなんとも秀逸です。話でもしようものなら大変です。「君、私語はつつしみたまえ」こんな声が聞こえてきそうです(実際には店員に追い出されるでしょう)。この店にはいると人間もタイムスリップするのです。
 名曲喫茶の魅力の一つに音楽がリクエストできるという点があります。このお店のリクエストにはなかなかこだわりがありまして、どのLP/CDで誰の指揮の第何楽章という細かな(偏屈な?)リクエストにもきちんと応えてくれるのです。みなさんは純喫茶のクラシックというとどんな曲を想像しますか? コンサバティブな曲。ショパンやモーツァルトあたりでしょうか。でもこの店は王道でなくて大丈夫です。どんな曲だってOKなのです。当たり前の心地よさも良いかもしれませんが、ここはひとつアクの強い曲を一発リクエストしてみたらいかがでしょう。平凡な喫茶店ではありえないという選曲。意外性のあるリクエストは自分も他のお客様も楽しませてくれます。私は小心者なのでこの曲のリクエストできませんが、この店の雰囲気を一言で表現するならばオルフのカルビナブラーナではないでしょうか。
 店内は薄暗く、現代人には小さいと感じる机といすがびっしりと並んでいます。まるで学校の教室か教会のようにみな前を向いています。教室の黒板にあたる場所には1階、2階ぶち抜きの巨大スピーカーがそびえ立っており、まるでパイプオルガンを彷彿させます。今、僕は一番後ろの席に座ってこの文書を書いています。せっかくですので実況をさせていただきますと、店内には7名のお客様がおります。良い意味でいつも空いております。どちらかといえばご高齢の方が多いように感じます。読書をする人、靴をぬいでアグラをかいてリラックスしている人、寝ている人、調べ物をする人、携帯をいじっている人、瞑想している人。そして私がいます。コンサートと違うのは音楽を聴きながらもかしこまっておらず基本は自由ということでしょう。なかなか実際に行ってみないと雰囲気は伝わりにくいのですが、友人を連れていくと、この別世界の雰囲気にみなさんがはっと息を呑まれ満足していただけます。別世界ということでもう一つお話すると、この喫茶店は花街にあります。おとぎの国はきれいなところにあるよりも行きづらいところにあるっていうのがいいんじゃないかと思っています。青山にこの喫茶店があってもいいんですが、それだと素敵なところに素敵なものがあるだけですよね。怪しく暗い森をぬけるとぱぁーっと視界が開けるっていうほうがおとぎ度が高いのです(意味不明ですかね。。)。みんなが知っているより知らない森。近づいてはいけない森の中。禁断の森っていうのはついつい興味を惹かれませんか? 西麻布の隠れたお店。銀座のBAR。そういうのと同じかもしれません。この店の「私だけが知っている」というシチュエーションはコアなファンを作るのに最適な感じがいたします。ただの喫茶店。ででも最初入るのはちょっと勇気がいる敷居の高い喫茶店。登頂した暁にはみなさまの中でも虜になるかたがいらっしゃることでしょう。
名曲喫茶ライオン
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2012.05.10
ラフォルジュルネ(熱狂の日)とは、フランスで提案されたクラシックのお祭りです。カジュアルでいて、きちんとした音楽がきける。今年で私も4回目。毎年毎年この季節がくるのを楽しみにしています。今年は「ロシア」の音楽家が中心のお祭りでした。私のお目当ては「ラフマニノフピアノ協奏曲第三番」2ヶ月前からチケットを購入するという熱の入れようでした。私の子供は3才なのですが、3才が入場できるラフマニノフのコンサートなんてほとんどありませんから。。もう一つの楽しみはおいしい食事とお酒です。ここでは種々の多国籍料理を味わうことができます。中近東料理、アジア料理、著名なホテルの出店もあります。一年ぶりに再会した友人。ママ友の家族。友人達と過ごす楽しい時間の始まりです。ちょっと文化的で、粋で、普段は躊躇するような奇抜なファッションでも問題ありません。料理とお酒でテーブルを一杯にしたらボトルをオープンです。お昼から飲むお酒って本当においしい!。日本にもこういうイベントがもっとたくさんあればいいなあと思います。
 ラフマニノフ。。日本では人気のようで不人気作曲家でしょうか。現実を離れた情緒と甘美、メランコリック、郷愁感、雄大さ。そしてスマートさ。「難解」だけれど「深刻さ」を取り除いた楽曲。深刻さを表すのに、「いかにも深刻」な曲調を書いてしまったら浪花節で、演歌な感じになってしまうかもしれません。ラフマニノフの曲は各人の心のなかに何を生むかは自由といったクールところがステキです。日本の演奏家はどうも浪花節になりがちで、喜怒哀楽の表現が激しすぎるのでしょうか。。私には「恥ずかしさ」が先行してしまいます。
 もう一つのお話。屋外ライブで聴いた曲にたいそう胸を打たれました。私はカッチーニという作曲家をしらなかったのですが、アカペラで歌われた「カッチーニのアヴェマリア」。あまりの美しさに涙しました。演奏中には、家族の幸せ。子供の成長、震災で壊れた実家、両親の事、友人の事。いろんな想いが頭をかけめぐりました。演奏の際に歌手の方がおっしゃっていましたが、「カッチーニのアヴェマリア」実はカッチーニではなく、ウラディーミル・ヴァヴィロフという方が1970年頃に作った曲だそうです。しかしこの実名はほとんどメディアでは紹介されず、完全に「カッチーニのアヴェマリア」ということで定着してしまっております。まったく無名のまま早くして亡くなられた作曲家だそうですが、ちょっとゴーストライター的な所とか、日の目をみない感じなんかが私にはかっこいいと感じてしまったりします。どのアヴェマリアが一番私の好むアヴェマリアであるか。これを調べるのが楽しくも大変です。you tubeなどで「カッチーニ」と調べますと意外と知られているようでたくさん出るのですが、どうにも「ヒーリング」とよばれるものが多く、好みにあいません。「癒し」という表現が見え隠れすると、クラシックのファンを増やすために誰かが仕掛けたビジネス用語のようで冷めてしまうのかもしれません。本来はもっと純潔で清楚で透明感がある演奏でなければいけないっていうのがあって最終的に行き着いたところは少年合唱でした。フランスのサンマルク少年少女合唱団(Les Petits Chanteurs de Saint - Marc)。かの有名なフランス映画「コーラス」の合唱団です。清らかで大人の私がはいってはいけないほど美しい世界観です。このブログをお読みいただいた読者のみなさんへ。お時間があったらitunes storeでサンプルが聞けます。検索の項に「サンマルク カッチーニ」と入力。是非お試しを。。
サンマルク少年少女合唱団によるカッチーニのアヴェマリア LIVE









 
2011.10.10
藤城清治先生の展覧会「ウェンライトホール10周年記念10回展」に行って参りました。副題として「東日本大震災チャリティーEXHIBITION」とあります。影絵の中には、先生が、サルーキ(だろう)とおもわれる子を散歩しているシーンがいくつか描かれていました。びっくりすることに、影絵の風景は駒沢公園なのです。先生が駒沢公園を散歩していることを思うだけで心が高揚します。身近なところに尊敬する先生がいらっしゃるという事にとても幸せを感じるのは、ファン的な精神だけでなく、ここを開院場所と選択した自分に対し、ほんの少しでも先生と同じ美意識の共通点を発見できたという満足感からかもしれません。
 展覧会は写真OKというとても心広い設定でしたので、何枚も何枚も写真を撮りました。私が先生の作品を昔から好きな理由のひとつに「先生の作品の中には、いつも私の中の少年が描かれている」ということがあります。もちろん、今回も作品をみれば、いつものように心がタイムスリップし、郷愁感でいっぱいになります。
 今回は「震災」をテーマに描かれていた作品が私にとっては大きな衝撃であり、感動でした。「復興の光 閖上被災地を描く2011」という作品。折り鶴は、被災地から「天上」に向かって飛び立ちます。折り鶴の意味の解釈はいろいろとあるでしょう。「世の中安穏なれ」「亡くなった方々が飛び立つ姿」。いろんな事が想像されます。木に登って応援する子供達。真ん中にある文章「ひとつ散る ひとつ咲く」。そして右の方に描かれた大きな「ひまわり」。ひまわりって、太陽とか、元気の象徴な感じがするんです。作品に描かれる空は被災地の今を表現した重く暗い空なのに、そこに光が差し込んで、元気なひまわりがあるんです。私には必ず明るい未来があるという希望がみえました。
 「聖フランシスコと小鳥たち2003」には先生の直筆で聖書の一文が掲載されておりました。こんな時代だからでしょうか、聖書のあまりに清らかな文章にいつも以上に胸打たれる思いです。先生の描く聖フランシスコは光まぶしく、尊く、心が洗われました。


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2011.09.19
 こちらのページには、日々気づいたこと、綺麗だと感じたこと、かっこよいと感じたこと、記念etc、種々の事を記載していきたいと思います。TOPの写真は私の好きな京都の風景。2004年に撮影した高台寺の写真になります。


第一回目の今回は、2010年度の東獣ジャーナルに掲載された記事ならびに2006年の目黒区獣医師会会報誌からの抜粋になります。
 東獣ジャーナルを記載することとなった経緯は目黒区獣医師会の先生から「寅年の伊藤先生、ひとつ年男ということで記載おねがいしますよ」といわれた事にはじまります。今になって読み返すと、冒頭から「草食系男子」などという半ば死語と化したような言葉が出現しおもわず赤面してしまいます。12年後。一巡したときに、これをみて何を思うのでしょう。「青さ」「若さ(若気の至り?)」「懐かしさ」いろんな事を感じることでしょう。 題名は考えに考え抜いてこの題名にしたのですが、「空」という語句など一言も書いておらず、今思えば非常にわかりにくいなあと少々反省です。みなさんはおわかりになりましたか?
 2006年の目黒区獣医師会報誌に関していえば、その時の「一生懸命」が後になって恥ずかしさに変化する典型的な例かもしれません。よい表現を使用すれば、「青さ」とは、ヒトが年を重ねると失う「エネルギーの強さ」でもあるかもしれません。世間体、羞恥心、常識を気にせずに表現できる事。ただし、その固執は医療ではマイナスに働くと考えます。ある診断に固執して「木を見て森を見ず」となってしまえば、答えに到達することはできません。客観的なものの見方といつも自分の答えが正解ではないかもしれないと疑うこと。自分の診断はなぜ合っているか?ということを自分に再度問いかけること。もし間違っていれば、その間違いを素直に認めること。「一生懸命」の間にもその「余裕力」を身につけたいものです。


2010年1月号 東獣ジャーナル記載


題 「されど空の青さを知る」


 虎といえば肉食なイメージが先行しますが、皮肉にも昨今は「草食男子」に支配されつつある日本でございます。なんとも時代に背を向けた動物が干支になってしまいました。私も今を輝く草食体型なのでございますが草食な外観とは裏腹に中身はやはり虎。貪欲に生き、欲望と快楽を求め続けることに努力をおしみません。開業して6年の間には一大ロマンスを経て妻を娶り、我が子が誕生し、家族との時間の大切さをよりいっそう感じる今日この頃です。

 趣味人を自負する私。自分のための時間というものが必要不可欠な人間であります。本日は診療時間の合間4時間でできる私の趣味の一つをご紹介いたします。目的地は、とある渋谷の名曲喫茶です。こちらは昭和元年に創業されました。一歩足を踏み入れれば、薄暗いノスタルジックな店内が私を出迎えてくれます。店内は音楽だけが流れ会話一つ聞こえてきません。そこには音であって音でない完全な静寂が存在します。暗闇の中ソファに腰を下ろせば、まるで深い森の中、湖のほとりで一人座っているかのようです。湖は朝霧で覆われ、肌寒く薄暗い木漏れ日を浴びてしんとしています。しばしの陶酔後、我に返れば、小説を開いてみます。飽きのきてしまった小説でさえ、青春時代に感じた新鮮な感動が蘇ってきます。昼間のたった4時間。されどこの4時間に凝縮された非日常を感じることができます。とかく悩みが続けば、この時間は逃避となる場合もあるかもしれません。逃避であれ充電であれ、この時間は私を必ずプラスに誘導してくれます。どんな形であってもここが心を癒してくれるのは、この店が真の本物だからです。マスコミがつくりだしたムードというものには既製品の快楽しか存在しません。本当の快楽・癒しは本物でしか得ることは出来ないのです。音楽、芸術、文化、食、ファッションあらゆるものに触れながら大いに人生を愉しみ、自由人でありながら今後もこの仕事を続けられたらと思います。






2006年 目黒区獣医師会 会報誌


題 「着物ヲ纏ヒテ神楽坂ニ入ル」 


 着物を着るという愉しみをおぼえたのは、いつからだったのでしょうか。決して動きやすくもなく、涼しいわけでもないこの衣装。着物はファッションというだけでなく人の精神になんらかの影響を与える力を持っているような気がしてなりません。着物を身に纏っている事で常日ごろは見逃してしまうような些細な物事への感心や感性を増加させてくれるような気がします。着物のもつ力によって見慣れた街並みはいつもと違う顔を見せてくれるのです。庭先に咲く紫陽花をじっと眺めてみたり、虫の声に耳を澄ましてみたり、空気の香りを感じてみたり。当たり前のものが当たり前でなくなること。着物は時間を大切により愉しく使う術を教えてくれるのかもしれません。
 このように、近頃着物に執着している私が、最初に都内で選択した場所は神楽坂でした。歴史的「謂れ」のある街は、着物で歩く私をすんなりと受け入れてくれる気がするのです。神楽坂といえば、早稲田通り沿いは、「いかにも新宿」の空気を感じるのですが、一歩小道に入れば、そこは浮世離れした別世界が拡がっているのです。古き良き時代の建築物を温存しつつ、そこに西欧文化のエッセンスを加えたような町造りは、大正浪漫、人物で例えるならば竹久夢二の世界を彷彿させます。開発の波が押し寄せた場所には「廃屋」も見受けられますが、時間が止まってしまった建築物もまた人に「郷愁感」をよびおこし心を癒してくれるのです。廃屋もまた神楽坂のなくてはならない魅力の一つであるといえます。
 知る人ぞしる「神楽坂とパリは似ている」。たしかに神楽坂には驚くほどフランス人の多いこと。裏道にある小粋なレストラン、京都を感じさせる潔癖な建築。外国の方が経営するopen cafeなど、多くの「粋」が、フランス人を魅了し、この街をパリに似た雰囲気にしているのかもしれません。
 さて着物をまとった「わたくし」は気取った書生さん風、いえ、永井荷風にでもなったつもりで神楽坂を散策するのです。こんな愉しい散策には、やはり「美しい女性」をつれて歩きたいものです。普段見ることのない身近な女性の妖艶な姿は再び私に新鮮な風を吹き込んでくれるのです。
 着物姿の私達は真っ昼間から酒をあおり、予定も立てず風のふくままにぶらぶらし、歩き疲れれば喫茶店に足をはこびます。素敵に年齢をかさねた女性、コケイティッシュなフランス女性、後れ毛の美しい芸者さん達などなど。日がな一日、道行く人々の人間観察を行うこともなかなか愉しい。。。アルコールと女性によってこの休日は美しく彩られ、私の日々の診療の疲れを忘れさせてくれるのです。
 近頃の私の休日をつづってみました。最後に「青春」という名のサミエルウルマンの詩をみなさまにささげます。


 人は信念とともに若く 疑惑とともに老いる
 人は自信とともに若く 恐怖とともに老いる
 歳月は、皮膚の皺を増やすが、情熱を失う時に、精神は縮む
 希望ある限り若く 失望とともに老いて朽ちる

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